ハイゼットカーゴの納車から現在までの愛車に関するカスタム事例
2019年05月09日 06時10分
CARTUNE2周年記念投稿キャンペーンに乗っかってみます。長くなりそうですが、お付き合いのほど宜しくお願いします。
まず1枚目ですが、納車半年後の2011年8月の我がハイゼットです(当たり前ですが、納車時はごく普通の箱バンでしたので、多少変化が出てからの写真にしました)。
この時、嫁さん妊娠8ヶ月くらいだったかなぁ。二人きりでの最後の遠出って事で、うどん好きの嫁さんのために、四国まで足を伸ばしました。んで、讃岐うどん巡礼の後に、個人的に行きたかった豊稔池ダムへ行った時の写真ですね。
まだ車高もタイヤもノーマル、後付けパーツは小型フォグと、今もそのまま使っているマルハマのラジオアンテナくらいの頃。ハイゼットを注文する時に、フォグくらいオプションで付けようかと思ったんですが、後から自分で付けた方が楽しかろうと敢えてオプションは何も付けずに注文したのでした(笑)。
納車から1年後くらいにヒッチメンバーを装着。クロカン派としては、デパーチャアングルを犠牲にしたくなかったので、バンパー下に飛び出る市販品は除外。ヤフオクで他車種用の中古を買って、自ら大幅に加工して装着する事にしました。
結果、どうにかバンパー裏に隠す事に成功。ナンバー位置も純正のまま、跳ね上げステーでボールマウントを生やしてました。ちなみにスペアタイヤも残したままです。手前味噌ながら、かなり拘って作ったパーツの一つです。
その半年後くらいにリフトアップに着手。この頃、まだFAFさんのリフトアップコイルくらいしかなくて、軽バンリフトアップそのものも、まだまだマイナーでした。軽バンの車高を上げたいなんて言うと、かなり変態扱いされた頃です(笑)。
ただし、残念ながらFAFさんのコイルを買う財力がなく、自作まな板スペーサーで前後共20mmアップ。市販のコイルより控えめなので、マイルドリフトアップと自称してました(笑)。そのおかげでか、まだドラシャブーツは割れてません。
チョイアゲに145R13のTG4である程度の機動性を得たのを良いことに(笑)、昔の悪い虫が騒ぎ、かつてのホームコースだった河川敷や林道通いが始まった頃です。この頃はこの頃で、スッキリとしててまとまりがあって良かったですね。
顔面崩壊が始まりました(笑)。黒に黒なので分かりにくいですが、初代バンパーガードです。
顔面崩壊ステージⅡ(笑)。
せっかくバンパーガードがついたので、前愛車ランクル40で使っていた大型フォグを装着。H2っていう変な規格のバルブで、入手するのに苦労しましたね。
暫くサンバーTT2に浮気してしまい、ほったらかしだった時期に、このままではイカンと、ハイゼットへのモチベーションを上げるべく(笑)、バンパーガード2代目を作りました。同時にウインカー部分もオレンジ塗装。顔面崩壊ステージⅢとでも言いましょうか、いよいよ取り返しがつかなくなってきた頃です(爆)。
そして空前絶後の一大プロジェクト(笑)だった、ウインチの装着を決意。ウインチベッドはもちろん自作、休みの日も平日も、毎日朝活でコツコツ作りました。
着工から完成まで1ヶ月半くらいかかりましたかね、完成した日の朝は、なにかを暗示するかのような物凄い土砂降りでした(爆)。
ウインチベッドを固定するのに、車体側にも穴を開けまくってますし、乗り潰す覚悟が整いました(笑)。清々しい気分です(爆)。
仲間のジムニーと行ったスノアタでウインチは非常に役に立ちました。千切れやしないかと内心ヒヤヒヤでしたが、今に至るまで一応トラブルなく使えてます。
そんなこんなで、オトナの事情でフォグ位置を変えたり、牽引フック周りを改良したりしつつ、今に至ります。
ここに紹介した以外の弄りは、直近ではデフ交換及びデフロック移植、リアナンバー移設(ピントルフック取付のため)といったところでしょうかね。エンジン周りや排気関係は、長く乗りたいという思いもあって、敢えてノーマルを保っています。
他にもちょこちょこ弄ってると思いますが、もっと見たいという奇特な方(爆)は、みんカラを見てやって下さいませ。同じSCM435というHNでやってます。
以上、我がハイゼットの8年12万キロの足跡でした。長々とお付き合い頂きありがとうございました。