ゴルフトゥーランのフォルクスワーゲン・法華宗 一松山 本興寺・長生村・NO WAR🙅♂️に関するカスタム事例
2022年07月30日 05時04分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
長生村の「法華宗 一松山 本興寺」さんを訪ねました😊
神社仏閣⛩シリーズ第68弾です❗️
山門を潜って駐車場に停めました。
駐車場から見ると…
お寺さんという感じがしないんですよね〜
もちろん🪦を見れば、お寺さんなんですけど😄
『明るい笑顔は心の太陽』
良い言葉です😊
チラシが貼ってありますが…
こちらのお寺さんでは、副住職による「お経セラピー」というものを催しているんです❗️
お寺さんのHPから💁♂️…
『「お経の意味って?」「お経を読んでみたいけど恥ずかしい」「ご先祖様、大切な人にお経を読んであげたい」「お寺に行って気持ちを落ち着かせたい」等などお考えの方。
一般の家で生まれ育ち、仏教に興味がなかった私が縁あって僧侶になり、正しい考え方、生き方等を教えてくださった仏教に心から感謝しています。
僧侶になるまで私が持っていたお寺のイメージは、「特に興味もなく、敷居が高く行きづらい」といった感じでした。
そんな私が今日までの修行で感じた仏教・お経の素晴らしさ、お経の意味などを一人でも多くの方に知って、感じて頂きたくこの会を開催することになりました。
もっとお寺が皆さんの近くの存在であれますように。
皆様が幸せな日々を過ごせますように。
そんな願いを込めて・・・・・。
人生が変わります♪
お経セラピーは毎月第3日曜日、午後3時から開催しています。
皆様のご来寺を心よりお待ちしています。』
ということで、なんか楽しそうですね👍
な、なんと…
こちらが本堂なんです😵
ねっ❗️お寺さんらしくないでしょ😆
これが都内なら分かりますが〜
九十九里浜の田舎にあるんです。
本堂内です😊
いやぁ〜モダンな造りですね😄
本興寺さんのHPには💁♂️…
『創立:永正15年(1518)4月28日
開基(本興寺を開かれた方):大本山鷲山寺 第八世 日幡上人
現住職:平田 日範
由来・沿革:
当地域は元々真言宗であったが、大本山鷲山寺第八世日幡上人の折伏により、永正15年(1518)4月28日、法華宗に帰信し一カ寺を建立、一松山本興寺と称す。
当山より南方に向かい、蓮華院・久成院・雲照坊・常住坊・善立坊・慈雲坊の六坊がありましたが、現存するのは蓮華院・久成院の二院のみである。
当山第七世日乗上人の代までには八カ寺の末寺が創立され、本堂・庫裡・番神堂・宝物堂・鐘楼堂等が完備され、一松郷の中本山として法運増々盛んとなりました。
現在は本興寺・蓮華院・久成院とそれぞれが一寺院として活動しています。
旧本堂は戦中、戦後と学校としても利用され、お寺の本堂としては珍しい奥行のある合掌造りとなっていましたが、築八十年以上が経ち老朽化により危険な状態と判断され檀家総代役員と協議。
平成二十九年十二月三日檀家総会を開き、日蓮大聖人御生誕八百年・本興寺開創五百年を奉讃し本堂の再建が決議、令和四年に完成を見る。
本堂須弥壇には当地域、一松村で命を落とされた元禄津波犠牲者、戦没者の大位牌を安置し、日々供養をさせていただいています。』
なんと今年改築が終わったばっかりだったんですね〜😃
鐘楼堂もちょっと変わっていますよね😄
太平洋戦争で梵鐘が供出されたそうです。
昭和40年に第四十二世三浦日確代に長生村内の篤志により現在の鐘楼堂を建立されたそうです。
鐘楼堂の周りには旧鐘楼堂の基礎石がそのまま残されているとのこと。
昨年投稿した茂原の藻原寺の山門のようですね❗️
こちらは境内にある「面影の池」です😊
睡蓮が生えています。
ちょうど副住職が掃除🧹をされていらっしゃったので、暫しお話しを…
面影の池には、アメリカザリガニが沢山いて睡蓮の茎をハサミで切っちゃうらしいんです。
仕方なく、ワナを仕掛けてアメリカザリガニを捕まえるらしいんですけど…
お坊さんが殺生しちゃうんですね😅💦💦💦
こちらは、宝物堂です😊
本興寺のHPによると…
『大本山鷲山寺の御宝物(日蓮大聖人御真筆曼荼羅等)を約三百年の間格護するが鷲山寺に宝物庫が完成、返還する。
火災から宝物を護るために周囲には濠、溜池が掘られ、現在は一松山の宝物を護寺する。』とありました。
九十九里浜沿いの道路には元禄地震の時の津波🌊の高さを表した標識がたくさん立っており…
以前、そこでのpicを投稿したことがあります。
こちらの長生村一松(ひとつまつ)海岸での🌊も甚大な被害が発生したんですね🥺
『長生村指定文化財
元禄大津波の供養碑及び大位牌(本興寺)
元禄地震(元禄十六年十一月二十二日 一七○三年)
「宵より雷強く、夜八ッ時 地鳴る事雷の如く」大地震が発生(推定M 八・二)それに伴い大津波が襲い、相模から武蔵、安房、上総までを直撃、大きな被害をもたらした。
九十九里沿岸も壊滅的な被害を受け、当時の一松村では津波による死者約七百名(鷲山寺の記録では一松村郷の死者八四五名となっている)全員の戒名を大位牌三枚に刻み本興寺において盛大な法要を営んだ。』
元禄地震での大津波をググってみると…
津波の高さは5〜10mで、房総では死者6千人以上😵だったんだとか。
当時は高い建物や頑丈な建物もないでしょうから、甚大な被害だったんですね。
こちらにも案内板💁♂️が…
『長生村指定文化財
津波供養碑(本興寺)
元禄十六年(一七○三年)の津波は近世において、九十九里沿岸を襲った最大の津波で一松郷内の人畜の被害は甚大であった。
一松地域には津波供養碑は数多いがこの碑は一松郷初崎村浦名主東条市郎右衛門が一族の水死者の冥福を祈って建立したもので代表的な板状供養碑である。
十八人の法名が刻まれ子供の法名が多い。
裏面に津波の状況が刻され貴重である。
「維 元禄十有六年十一月廿二日夜 当国 一松に於て大地震有 尋で大波揚る 嗚呼天乎是時民家流れ 牛馬斃死す 死人は幾千萬余りと数を知らず…』とありました🥺
こちらがその供養碑です。
供養碑の詳細は、『総高124㎝、幅50㎝、厚さ21㎝と大きく頭部は山型、代表的な板状供養碑です。台石は地下に埋没しております。
一松卿初崎村浦の名主・東条市郎右衛門が一族の水死者の冥福を祈って建立しました。
紀年銘はないが、周囲の同型の供養碑から宝永(1704年~1710年)か正徳(1711年~1715年)の頃の建立といわれています。
18人の法名が刻まれなかでも子供の法名が多いです。
裏面には津波の状況が刻されていて貴重です。
一松地域では元禄16年(1703年)11月の津波の被害は甚大でした。』と千葉県の公式観光サイトにも記載されていました。
😞🙏合掌…
こちらの山門は、もともと茅葺屋根で本興寺の六足門として村の文化財に指定されていました。
老朽化が激しくなり、平成7年に第四十三世平田日範代に日蓮大聖人開宗七百五十年を奉讃して大改修をしましたが…
平成16年10月の台風🌀により倒壊してしまい、再度大改築し現在に至るそうです😊
田舎の普通のお寺さんが現代的でビックリ🫢しました。