Cクラス ステーションワゴンの3連休・TTクーペ・アウディ・ヤナセ・メルセデス・ベンツに関するカスタム事例
2020年03月22日 22時38分
東京↔️茨城 本文中では日本にメルセデス・ベンツを広めた故・梁瀬次郎氏に敬意を払い、敢えて「メルセデス」ではなく「ベンツ」と表記しております。
まいどご覧いただき、まことにありがとうございます🙌
連休で東京へ戻ってきたNomuraさんのAUDI TTSと京葉市川🅿️にて。
その隣にもAUDIが…。
ここ15年のアウディの躍進ぶりは目を見張るものがあります👍
📸はネットよりパクり😍
私のアウディ現体験は、B1型初代「80」です。
小学生の頃、これとまったく同じクルマに親父が乗ってました。
茨城県土浦市でヤナセ販売協力店になっていた、八洲商事㈱で購入。
ここは当時から社長がBMW贔屓だったこともあり、後に茨城県南のBMW正規ディーラーとなります。
この頃のアウディは、VWの上級版といった感じで、ヤナセの販売施策においては「旦那様にはキャデラック、ベンツを。奥様にはアウディを」といったこともあり、大変地味な感じでした。
そんなこともあり、買い換える前に乗ってた、C230ローレルのほうが、豪華で見栄えも良く、なんで外車とはいえ、こんな地味なクルマにしたんだろう❔と、子供心に思ったものです。
そんなアウディのイメージを変えたのが高速常時四輪駆動のクアトロ、CG誌風に書くと「クアットロ」
WRCでの活躍で、その名を知らしめました。
その後、82年に空力ボディの100と上級版の200、88年にはBMWに先駆けてV8 3.6(のちに4.2)liter搭載の「V8」がデビュー。
「道を拓くのは、いつもアウディ」というヤナセのキャッチコピーも定着。
その後、ヤナセからフォルクスワーゲンアウディ日本へ輸入販売権移り、1998年アウディ部門が独立。AUDI AGが100%出資する「アウディジャパン」として分離。VWとの併売体制になっている「ファーレン」「DUO」販売網のディーラー契約を一旦白紙に戻し、改めてアウディ専売のディーラー契約を結び直し、2001年より新CIに準拠した全国ディーラー網を始動させた。2007年にはヤナセとの共同出資で作ったディーラー「ヤナセアウディ販売」をアウディジャパン側が全部買収し、「アウディジャパン販売」としてインポーター直販体制を作った。2008年の新規登録台数は16,040台であり、輸入車に占める割合は7.8%であった。
その後、シングルフレームグリルの採用や、VWとの差別化に成功し、プレミアムブランドとして「ジャーマン3」の一角を成してゆきます。
おまけ🌀
Nomuraさんと、204の車台番号ってどこに打刻してあるんだろう❔ということで調べたところ、なんと右側シートの下あたりにありました😓
偽造や盗難、ニコイチ車防止のため⁉️
それでは皆さんごきげんよう🌚