スイフトスポーツの峠備忘録・ドライブ・埼玉県飯能市・渋沢平九郎・越生町に関するカスタム事例
2021年01月26日 08時56分
⚜️各地の #峠備忘録 をあれこれつぶやく五十路行脚中のオジイ (峠や地名由来は諸説あり!)⚜️ Twitter:峠のスイフト と連動投稿。 ⚜️ZC31S(モンスター製コンプリートエンジン換装:50ps⤴︎)⚜️スイフトの愛称:エヌペケ ⚜ よろしければフォローお願い致します。🙇🏻♂️ 2022年6月
エヌペケの #峠備忘録®️
#顔振峠(奥武蔵)は #埼玉県の峠
場所:#飯能市 長沢
林道:奥武蔵2号線
標高:約508m 撮影:2017年
源義経と弁慶の伝説があり "かあぶり" と読む #奥武蔵グリーンライン の峠。奥武蔵・秩父の山並みが絶景。また行ってみたい峠なのだな。
Twitter:峠のスイフト
慶応4(1868)年1月、鳥羽伏見の戦いで新政府軍は旧幕府軍を制し、2月には江戸に迫っていた。5月23日、新政府軍と対立する振武(しんぶ)軍の一人の隊士が、埼玉県の顔振(かあぶり)峠を下り、黒山村(埼玉県入間郡越生町黒山)へと逃げのびる。
官軍に追いつめられながら孤軍奮闘するものの、抗し難きを悟ったその若者は、路傍の岩にて自決。首は高札場に晒され、その亡骸は、哀れに思う村人によって黒山の全洞院に葬られる。位牌には「俗名知らず、江戸のお方にて候、黒山にて討死」と記された。
討死から10数年後。振武軍副頭取、尾高惇忠(おだかあつただ)を実兄に、渋沢栄一を義兄に持つ、振武軍参謀、渋沢平九郎だった。