NSXのわかな@weisseさんが投稿したカスタム事例
2019年07月22日 22時23分
東海地方を中心とするNSXのオーナーズクラブweisse(ヴァイス)の広報担当わかな です。 毎月 第2土曜日 鞍ヶ池ミーティングを開催しています。お気軽にご参加ください。(雨天延期) みんカラ、インスタ、ツイッターもやってます。よろしくお願いします。
私は子供の頃自分の家では
黄色のスイカしか食べさせてもらえませんでした。
というのは、私が6歳の時に
母方の祖父が亡くなり
看病中に絞って飲ませた赤いスイカを
見るたびに泣けてしまうから。。。と
もらいものであっても
母が家の冷蔵庫に赤いスイカを
入れることはありませんでした。
高校生くらいまで。。。10年くらいは赤いスイカはダメで
いつも母は黄色のスイカを買って食べさせてくれました。
実は一番面倒をみてもらったらしい私は
おじちゃんの記憶がほとんどなく。。。
家事なんてした事があるわけもないおじいちゃんが
自営で忙しい母親のためにうちに来ては私の世話をして
引退してから覚えた大好物のそうめんを私に食べさせてくれていたそうです。
そして、我が家の食卓に赤いスイカがのった頃にやっと
ずっと親戚だと思っていた母が「おにいさん」と
呼ぶおじさんが実はおじいちゃんの秘書だった
まったく血縁のない人だという事を教えてもらいました。
そのおじさんが一度だけ、私におじいちゃんの話をしてくれたことがあります。
「私が昔若くて短気だった頃に、
お仕事をしていて腹の立つ事があったら背広のポケットの中の
この数珠を握りしめて切れるまでは我慢しなさい。と言って数珠をくれました。」と、話してくれました。
そして、毎日毎日数珠を握りしめているうちに
いつもいつも笑顔でいるおじいちゃんだって
ずっとこぶしを握りしめて我慢してきた。
同じような経験をしてきたんだ。ということを知ったそうです。
おじいちゃんのお葬式には
会社の業務が止まってしまうから
参加しないように社長命令が出ていたのに
多くの人がなんだかんだと理由をつけて会社を抜け出して
最後に一目とお葬式に駆けつけたそうです。
大の男がお互いの顔を見合わせては
あなたも来たのかとみんなで泣きながら笑ったそうです。
もう少しおじいちゃんが生きてくれていたら
聞いてみたいことがたくさんあったのになぁと思います。
そして、子供のころ
赤いスイカを10年食べられなかった母を
いつも笑っていた私は
母が亡くなって8年もたつのに
結局まだ黄色のスイカをスーパーで見て
今日また、泣きながら帰ってきました。
レポートはもう少々お待ちください。