CLSクラス クーペのメルセデス・ベンツ・86の日・8月もよろしくお願いします・ヤナセ・500投稿記念に関するカスタム事例
2022年08月06日 22時17分
東京↔️茨城 メルセデス・ベンツ新旧全般、my carはノーマル派ですが、カスタム、チューニング否定派というわけではありません。 なお、本文中では日本にメルセデス・ベンツを広めた故・梁瀬次郎氏に敬意を払い、敢えて「メルセデス」ではなく「ベンツ」と表記しております。
毎度ご覧いただき、誠にありがとうございます🙌
㊗第500回投稿🎉🙌🎊🙌
8月6日、ハチロクの日に因んでAE86とコラボ⁉️
「特別機動捜査隊」第500回opよりパクリ😍
記念すべき第500回は…
500に因んで過去車500Eネタ…ではありません🙄
500回記念企画、クルマのある人生
…ということで、ゆきむらーの中の人に幼少期から影響を与えたクルマたちを取り上げて行きます。
幼少期、といっても物心付くのはせいぜい5歳児くらいからですが、親や周りの者から聞くとクルマは好きな子供だったのは間違いないようでした🙄
これだ❗というクルマを意識したのは、以前から取り上げている「特別機動捜査隊」エンディングから、330セドリック/グロリアが初めてです。
そしてそんな時、私の叔母さんが結婚することになり、叔父一家が結納の時乗って来たのが白い330、4ドアハードトップ。
グリルの「2800」、ナンバーが55とか56ではなく33、パワーウインドや応接間にあったソファのようなインテリア…。
正しく夢のようなクルマが目の前に現れました😮
その頃、東映作品の菅原文太主演、「トラック野郎」シリーズがヒット。
「大きな物」「強そうなもの」+「自動車」ということで、この時期の子供が憧れる要素があり、巨大合体ロボットものよりもトラック・ダンプなどに惹かれたものです。
いまでも大型車両は好きです👍
スーパーカーブームでもあったため、当然クルマ好きの子供としてはそちらにも興味は行きます🤭
当時の私が気に入ってたのは、フェラーリ512BB。
しかも赤ではなく「紺」、インテリアもオレンジに近いタン革という妙な拘り😮
当時東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放映されていた、山田隆夫がMCの「対決❗スーパーカークイズ」をよく観ていたものです📺
しかし、スーパーカーのようなスポーツタイプではなく、専ら興味があったのは3BOX形状の、独立したトランクが付いたボディ形状のクルマ。
その究極が当時の巨大なアメリカ車。
キャデラックやビュイックなど、角目4灯ライトやリアタイヤが半分近く隠れるフェンダーカバーに萌えたものです😮
リンカーンなどのフォード系ではなく、ヤナセ扱いのキャデラック、ビュイックというところが私らしい😁
小学校へ上がった頃は日産プレジデント。
ボディサイズ、V8 4.4L、200PS(グロス値)というスペックも当時の国産車では最大、最強、高額。
ボディカラーが黒で赤い内装のものがあり、それが良かった覚えがあります。
ポンティック・ファイアーバード・トランザム
小2の頃、親父と東京外車ショーを見に行ったとき、角目4灯、尖鋭なフロントマスクにシビれ、プラモを作った覚えが🙄
ボンネット上のファイアー・バードのデカールが上手く貼れませんでした😵
小3の頃、かかりつけ医のガレージに収まっていた、これと全く一緒のクラウン。
このときはセドグロより、クラウンに転向😁
もう一台は地元選出の国会議員の公用車だった黒。
11クラウンはハードトップよりもセダンという感覚は、この頃の記憶によるもの🙄
小3の終わり頃、トヨタからソアラがデビュー。
この金色のツートーンにやられました😁
当時、学校のクラブ活動で模型クラブでプラモを作った覚えがあり、クルマの好きな先生から「おぉ、ソアラか❗先生は買えないなぁ〜」と言われ、おいそれと買えるクルマではないことを知ることになります💰
そして、小4のとき初めてメルセデス・ベンツが登場。
これもプラモを作ったのがきっかけ。
それまで外車≒米国車というイメージを覆した一台。
ボディカラーをシャア専用ザクの赤い部分(
国鉄の赤2号)で塗った覚えあり。
とりあえず、未就学児〜小学校中学年までのものはこんなところです😮
次は小学校高学年〜へ続きます❗
それでは皆さんごきげんよう🌚