86のオッサン・歴史・86センセー・長文でごめんなさい・安西先生に関するカスタム事例
2020年05月19日 15時14分
安西先生とコラボ!ヽ( ・∀・)ノ
『安西センセー!ドリフトがしたいです♪』
『ドリフト2万本です。』
!Σ( ̄□ ̄;)
・・・タイヤ代が足りません。
働かざるもの走るべからず
くそー今日もやってくよーヽ( ̄▽ ̄)ノ
『ヘンリー・フォード#4』
前回のあらすじ
庶民の、庶民による、庶民の為のクルマを
作りたいヘンリー。
せっかく作った会社も、経営陣(金持ち)から
追い出され、理想のクルマづくりを
させてもらえないヘンリー。しかも2回も失敗。
追い込まれたオトコの取った策とは?
ヘンリーはあきらめなかった。
1902年 デトロイトのレンガ作りの小さな小屋で、1台のレーシングカーが誕生しました。
『スピードこそクルマを売る近道』
レースで優勝してスポンサーを獲得してきた
ヘンリーには、この道しか残されて
いませんでした。
誕生したクルマには、ニューヨーク~シカゴ間で鉄道のスピード記録を達成した
『エンパイアー・ステート・エクスプレス』の名前から
『999』と名付けられました。
『999』は、だいぶヤンチャな仕様でした。
エンジンは4気筒、排気量17700ccで、70馬力。すげー!Σ( ̄□ ̄;)
無駄なものは一切ナシで、ボンネット、ボディも付けなかった。軽量化だね(笑)ヽ( ̄▽ ̄)ノ
超軽量化に成功した『999』は
レースで他を圧倒しました。←軽さは正義w
後続を周回遅れにし、見事優勝!
これでヘンリーに、ふたたびスポンサーが
現れました。
このスポンサーの中には機械メーカーの
『ダッジ兄弟』(´◉◞౪◟◉)ドヤ!
などがいました。
3度目の正直でついに1903年
『フォード・モーター・カンパニー』が
設立されたのでした。
しかし、またしてもスポンサーたちとの意見が食い違っていきます。
が、前回、前々回と、ヘンリーには2度の失敗の経験がありました。
『失敗は成功の母』
トーマス・エジソンの言葉である。
ヘンリーは言葉通り前回の経験を生かし、
利益が出ると自分の出資を増やして
いきました。
そして株式の大半を押さえ、
ワンマン体制を築き、
そして自分の意思を通せる体制を
作ったのでした。
そう夢であった、庶民の、庶民による、庶民の為のクルマづくりを・・・。
今日はここまでーヽ( ̄▽ ̄)ノ
以下次回!お楽しみに~♪
若者よ!失敗を恐れるな!
逆に若いときしか失敗できんわ(笑)