フェアレディZの北ウイング・オメガトライブ・二人の夏物語・君は1000%・林哲司に関するカスタム事例
2021年06月22日 11時55分
Zまだ帰ってこないので、以前の写真
ガソリンスタンドにて
代打でかみさんのセリカ乗ってますが、通勤の足で使ってたのでいなきゃいないで寂しいですよねー
亀裂が入ってクーラントが漏れてた
インジェクション用のヘッドカバー
中古品が見つかって
作業進めてもらってたんですが.......
今度はその吸気バルブ側の穴が少し大きめに加工されていて、今まで使ってたバルブが移植できない😅
なんとかサイズの合うバルブは見つかったので
取り寄せでまた時間が掛かっております......
焦っても仕方ないので昭和歌謡喫茶で
音楽を聴きながら気長に待っております
昭和ガレージの夏のヘビーローテはこの曲!
『ふたりの夏物語』
曲:林哲司 詞:康珍化
中学の頃、我々仲間内では間違って呼んでたねー
オメガドライブ×
オメガトライブ○
どうりで俺らの英語の成績悪いわけだ😅
JALタイアップの為、期限が迫るプレッシャーの中、このコンビは2日でこの曲を仕上げて、ツアー中だった杉山清貴を九州から呼び戻してレコーディング。
計3日で完成😎
杉山清貴は戻ってくる機内で歌詞を覚えたらしい.....
それがこのバンド最大のヒットになるのだから、
さすがは新世代のゴールデンコンビ!
杉山清貴&オメガトライブの前身は、
ポップコンの常連「きゅうてぃぱんちょす」
はじめてポップコンに出たのは1979年秋大会
その時のグランプリは
「大都会」を歌ったクリスタルキング!
事務所の藤田社長が惚れ込んで、デビューをさせるも
条件はプロが作った楽曲の演奏
いつかは自分たちの楽曲で…….と思い活動を続けるも、売れれば売れるほどそれはかなわぬ夢に。
最後はメンバーだけで相談して1985年解散決定!
もともとバンドというよりは
藤田社長のイメージを形にしたプロジェクト
そこで後釜ボーカルにカルロストシキを加えて1986オメガトライブ→カルロストシキ&オメガトライブ
として一部メンバーは残ってプロジェクトを継続
というのがオメガトライブの歴史ですね
そんなこととはつゆ知らず、
テストで10点台を取ったやつに
♪君は10%(テンパーセント)♪
とハイテンションでからかうアホな私その時中学2年生
私の作成したザ・ベストテン ランキングボード
1位『北ウイング』
オメガトライブの曲を聴いた中森明菜が
林哲司に依頼してできた曲
その時の彼女が林哲司に出したリクエストは
少女Aの強さ
スローモーションのような優しさ
の中間をいく感じの曲
さすがは林先生!珍康化の作詞の世界と合わさって
優しくも強い意志を持った女性像が
見事に表現されてる名曲ですね!
こうして今日も昭和歌謡に浸るのであった。