ゴルフトゥーランのフォルクスワーゲン・佐倉 武家屋敷・くらやみ坂・NO WAR🙅♂️に関するカスタム事例
2022年08月18日 05時33分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
佐倉市巡り投稿のラストは…
武家屋敷です😊
10時半頃に行ったせいか、駐車場もガラガラです。
クルマから降りると既に暑い🥵💦
ちょっと後ろのチャリ🚲が邪魔ですね〜
こちらは駐車場🅿️の横にある「侍の杜」という武家屋敷のあった敷地を利用した市民緑地です😊
庭にはいろいろな植栽が植えられ、剣術練習木や古い井戸などもあります。
こちらの門を出て、右に行くと昨日投稿した「ひよどり坂」の頂上に着きます。
門を出て左に行くと、武家屋敷です😃
この通りは「武家屋敷通り」という名がついていました😊
案内板💁♂️には…
『宮小路(旧鏑木小路)の武家屋敷通り
近世の初め(慶長-元和)初代佐倉城主土井利勝が鹿島台に築城し東方に城下町を配しました。
武家屋敷は城内および城外の地元で尾余と呼ぶ台地の先端部に屋敷割されていました。
ここ宮小路の武家屋敷は、なかでも往時のおもかげが良く残っているところで、通りに面したところに土手を築き、その上に生垣を巡らせています。
これは馬上から屋敷内を覗かれないようにするためだと伝えられています。
屋敷内には小さな畑があり、うしろは急な崖で、シイ・竹が生い茂り緑に包まれた、たたずまいとなっています。』
まずはこちらが武家屋敷見学のチケット🎫売り場になっています😊
「旧河原家住宅」(千葉県指定文化財)、「旧但馬家住宅」(佐倉市指定文化財)、「旧武居家住宅」の3棟の武家屋敷が現在公開されています。
3棟見学で250円でしたぁ😄
最初は「旧河原家住宅」ですね〜😄
こちらは佐倉市内に残る武家住宅の中で最も古いものとされ、展示された調度品に佐倉の武士の生活様式を垣間見ることができます。
ググッてみると💁♂️…
『河原家は家禄300石の上級武士で、以前は50mほど東に建っていました。
佐倉武家屋敷と総称される3軒(旧河原家住宅、旧但馬家住宅、旧武居家住宅)では最大の屋敷。
平成元年に移築復元整備が行なわれ、弘化2年(1845年)の『河原喜右衛門江屋敷相渡帳』などから式台付きの玄関や次の間、中の間、縁側も復元され、展示された調度品などから往時の生活を偲ぶことができます。』
お偉い武士のおうちなんですね😄
蓑を見ると…
条件反射的に、鬼太郎の子泣き爺を思い出してしまいます🤣🤣🤣
家禄300石ってどれくらいか調べてみると…
かなり上級なお屋敷なんですよ😊
ですから相当立派な建物なんですね〜
「タララ~、タララ~、タララ~ラ~、タララ~ラララ~ラ~ラ~、ララララン♪
お風呂が沸きました〜」
って、その時代についてるわけないでしょ🤣🤣
こちらの縁側だって長いですよね😊
寄贈された建物を一度解体して、元に近いように移築復元したわけですから手間が掛かっているんですね〜
奥はお手洗いになります😊
手前の鉢で手を洗ったんですね〜
私はウォシュレットがないとダメなんですよ😅💦
入場券を購入すると〜
チケット🎫と一緒にこちらの武家屋敷の冊子を頂けるのですが、そちらを見ると…
300石は大屋敷で、建坪は39坪より63坪まで、門は腕木門または長屋門、玄関は2間(破風作・舞良戸は元からある分は許す)、長押は旧造は可(座敷、居間、玄関のみ。新規は禁止)、畳は近江表へり付(座敷、居間向)七嶋表(玄関其外)へり無(廊下其外勝手向)と、「天保の御制」における厳しい居住の制があったんですね😊
「旧河原家住宅」を一旦出て、次は「旧但馬家住宅」です😊
もう💦💦💦ダラダラ状態です😆
こちらは、元からあった場所に整備をして公開しているため…
建物だけでなく、屋敷地の形状や植栽に当時の武家屋敷の特徴をよく残しています😊
居間にど〜ん❗️っと甲冑が飾られていました😄
甲冑とは、鎧兜のことですね。
いわゆる胴体部分を守る鎧と、頭部を守る兜からなる防具です。
戦国時代になると、大人数での集団戦が主流となったことで…
それまで以上の機動性と防御力が要求されたことを受け、軽量化と徹底した機能性重視の方針が貫かれた「当世具足」(とうせいぐそく)が登場したわけですね😄
足元に説明書きがあります😊
『当世具足
佐倉の武家屋敷で生活していた佐倉藩士が使用していた当世具足という種類の甲冑を復元したものです。
江戸時代、実戦で使われることはほとんどありませんでしたが当時の武士たちは「武」の備えとしてこうした甲冑・武具を所有していました。』
実際に使わんかったのか〜い🤣🤣🤣
こちらもググると💁♂️…
『旧但馬家住宅は、19世紀前半の建築で、河内十郎左衛門屋敷地ののち、天保年間(1830~44)以後は100石取の井口郡内がこの屋敷に居住していたことが記録に見えます。
1872年の時点では、旧禄高20人扶持の岡田陽助屋敷(佐倉城外45番屋敷)でしたが、1875年に旧佐倉藩士の但馬氏がこの屋敷を購入しました。
1990年には佐倉市が復元整備し、この時に失われていた南側の土間部分を往時の状態に戻しています。』とありました😊
なんか〜
アニメのキャラみたいなのが突然現れました😆
「天倫の桜」と書いてありますね。
ググッてみると…
スマホゲームで、佐倉市サムライRPGゲームなんだとか😵😵😵
『どのような信念を持つかによって、人は武士になるのではない。
どのような信念であれ、その信念を貫いて生きる姿勢こそが、人を武士たらしめるのだ。』
と書いてありました。
で、この人はというと…
但馬市之丞という人らしいです💦💦💦
こちらも頂いた冊子によると💁♂️…
『この住宅の建築年代は明らかではありませんが、文献資料や絵図によって、1821年(文政4)から1837年(天保8)の間に建てられたものと推定されています。
初めてこの住宅に入ったのは、誠心流槍術師範であった井口氏であり、その後、岡田氏の住居となり、1875年(明治8)に但馬氏が購入しています。
1992年(平成4)に、現在の姿に整備され、公開されることとなりました。』とありました😊
先程の旧河原家住宅は家禄300石で上級武士だったのに対し、こちらは家禄100石だそうです。
ということは、中級あたりになるのでしょうか😆
「天保の御制」だと中屋敷ですね。
建坪は27坪より33坪まで、門は腕木門または木戸門(長屋門は禁止)、玄関は2間(箱段のみ。式台付けても良いが、破風作・舞良戸禁止)、長押は座敷でも不可、畳は近江表へり付(座敷)七嶋表へり無(玄関、居間)と大きく異なっています❗️
来る〜🎶
きっと来る〜♬
はい、井戸といえば…
もう貞子がお約束ですよね🤣🤣🤣
そして、こちらは3つ目の「旧武居家住宅」となります😄
おっと、またまたアニメキャラ登場です😆
この人が主人公みたいですよ❗️
武居新佐という人です😃
何故か…
頭の中は、レキシとDeyonnáこと椎名林檎の楽曲「きらきら武士」が流れています🤣🤣🤣
冊子によると💁♂️…
『旧武居家住宅は、「天保の御制」と呼ばれる居住の制における百石未満の藩士が住む小屋敷の規定と家屋の規模が一致しています。
幕末にこの屋敷に住んでいたと考えられる田島伝左衛門は90石の禄高であり、これも居住の制と一致します。
建築年代は資料がなく明らかではありませんが、構造手法からみて江戸時代末期(19世紀前半頃)と思われます。
1997年(平成9)に、移築・整備工事が完了し、公開されることとなりました。
座敷には長押を付けないなど簡素な造りですが、当時の小規模な武家屋敷の典型例として貴重です。』とありました😄
佐倉の城下町についての説明があります😊
『佐倉・城下町の構成
佐倉城は、東西方向に伸びた馬の背状の台地西端に位置します。
城下は武家屋敷地と町家といわれる町人地に大別できます。
武家屋敷は主に城内の椎木曲輪、広小路一帯をはじめ、大手門より東の城外では麻賀多神社前の宮小路、成田街道沿いの海隣寺並木、そして現在地である鏑木小路などに置かれました。
一方、町家は堀端の田町にはじまり横町、新町を経て街道沿いに東へ続いています。
この「佐倉城大絵図」の制作年代は正確には分かりませんが、城下のようすを詳細に描写した絵図として貴重です。
図中には「侍屋敷」が160数軒、その他「小役人家」「足軽長屋」「中間小屋」などの武士の住居が記入され、それぞれ文字の頭の方向に門が付きます。
町家は街道沿いに切妻屋根風に表現されています。』
こちらもググると💁♂️…
『当初は斎藤氏、文政5年(1822年)前後に依田平内、その後、服部用太郎が居住し、幕末の万延元年(1860年)以前から明治初めには、家禄90石の田島伝左衛門・田島育太郎の屋敷(佐倉城外54番屋敷)となっていました。
平成8年に移築復元され(本来は250mほど東にありました)、武家屋敷関連の出土品が展示されています。
接客と生活空間を二列に分けた平面が特徴的で、屋根はもともと茅葺きでしたが銅板に葺き替えられています。』とありました。
こちらの住宅だけ茅葺き屋根じゃないのがちょっと気になります😆
室内は、展示室のようになっています😊
実際に使われていた物が展示されています。
一通り見学してみると…
今から約400年前に、土井利勝によって佐倉城が築かれて城下町としての歴史が始まった佐倉市は〜
見どころが詰まった街ですよね😄
奥が大で、扉に隠れてしまっていますが…
小便器があります😊
こちらはどうやって武家屋敷を復元したかについて説明されています😊
『旧武居家住宅の復元について
旧武居家住宅の復元に当っては、武家屋敷として建築当初の姿に復する方針で設計・施工を行ないました。
元宮小路町39番地にあったこの建物は、長い年月の間に幾度か部分的に増改築を加えられ、当初とは異なった形で残っていました。
古図等の資料が残っていませんので、解体調査時に得られた部材の風蝕、痕跡等を手がかりに復元設計を行なっています。
現在地に建築場所を移しての復元工事は、一部を除いて伝統的な工法を用い、部材は耐力上支障がないと認められたものについては古材を再用しています。
なお、屋根は保守管理の都合により、本来茅葺きであったものを茅葺き屋根型の銅板葺きとしました。』
ようやく駐車場に戻ってきました😊
取り敢えず、トゥーランに乗ってエアコン全開で涼まないと🥵💦💦💦
こちらは武家屋敷の間にある「くらやみ坂」という名前の坂です😃
行きはこの坂を登ってきました。
晴れていても、ちょっと薄暗い場所ですね。
往時はもっと暗かったんでしょうし、闇討ちするには持って来いの場所だったんでしょうかぁ😱😱