Cクラス ステーションワゴンのネオクラオーナーズミーティング・イベント前にやることに関するカスタム事例
2024年09月26日 00時15分
【Mercedes-Benz 190 W201】
1970年代半ば、メルセデス・ベンツでコンパクトカーを作る議論がはじまった。オイルショックによるアメリカの燃費規制には小型車が有利であることに加え、当時、将来性のあるマーケット拡大、新しい層の顧客獲得を画策していた。
ブルーノ・サッコは、新しいマーケットに新しいクルマを投入するには挑発的なデザインが必要だと考え、斬新なデザインに、軽量化やトップグレードのエアロダイナミクスを取り入れた。小さなメルセデス190は、ミディアムクラスよりも30㎝短く、10㎝細く、280㎏軽くなった。
1983年
メルセデスのニューモデルとして2タイプの4気筒エンジンが用意され190(90ps)と190E(122ps)が登場。秋には、190E 2.3-16(185ps)とディーゼル190D(72ps)が追加された。190E 2.3-16は、南イタリアのナルド・サーキットにおいて5万km走行平均速度247.54km/hのセダン世界記録を樹立した。
1985年
190Dに2.5(90ps)追加。
1986年
190E 2.3(136ps)と6気筒の190E 2.6(166ps)が登場した。同時にメルセデス・ベンツに排気ガス対策のカタリティック・コンバータを装備する。
1987年
190Dターボ(122ps)追加投入。
1988年
春に190の生産100万台を達成した。
フロントエプロンやサイドモールディングなどボディデザインの変更でマイナーチェンジ。
1989年
DTM(ドイツツーリングカー選手権)グループAのベース車となる190E 2.5-16エボリューション(195ps)登場。全モデルに「スポーツライン」が設定される。
1990年
ジュネーブモーターショーに190E 2.5-16エボリューションⅡ(235ps)が姿を見せる。世界限定500台。
190E 1.8(109ps)の登場で、メルセデス車のキャブレターエンジンに終止符を打つ。
1991年
すべての190セダンにABSを標準装備する。
1992年
メルセデス車にリミテッドエディションの「アヴァンギャルド」を設定。
1993年
ブレーメン工場を最後に、1993年2月に190の生産が終わる。1983年以来10年間で188万台が生産された。
【Mercedes-Benz C-Class W202】
1993年にリリースされたCクラスの外観は、前モデルの190に比べると丸みを帯びたシェイプとなり、フロントグリルやテールライトなどに柔らかいイメージを押し出した。
多様化する顧客のニーズにこたえられるように、装備とデザインをわけてクラシック、エスプリ、エレガンス、アヴァンギャルドという4つのバージョンを設定した。
2000年までに160万台以上が生産された。
【Mercedes-Benz C-Class W203】
2000年5月、ニューCクラスリリース。W203は、2代目Cクラスであるが、190シリーズからの系統としては「3代目」。
ダイナミックに一新した個性豊かなスタイルに象徴されるように、Cクラスは大幅な進化を遂げた。流麗なボディをかたちづくる骨格は、さらに剛性を高め、より進化したサスペンションをしっかりと支持、正確でナチュラルなハンドリングと心地よい上質な乗り心地を生み出す。ロングホイールベースなどによって確保した広い室内には、乗る人をやさしく迎える、きめ細やかな快適設計が施されている。
当時、次世代のクルマとして目指した価値を、扱いやすいサイズに凝縮したCクラス。
2000年
5月ヨーロッパでニューCクラス発売。
9月パリモーターショーでCクラスのクーペ、「スポーツクーペ」発表。
2001年 ステーションワゴンリリース
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参考・写真引用
株式会社三栄書房「モーターファン別冊新型メルセデスCクラスのすべて」2000年
コンパクトメルセデスの系譜に連なるS203に乗っているものとして、敬意を込めて、W201の歴史をたどってみました。
W201にまつわる思い出があります。私は、アレステッド・ディベロップメントのテネシーを聴くと、W201を思い出します。25年前、代車として2ヶ月ほど乗ったことがあり、丁度そのころ、運転をしながらよく聴いていた曲のひとつだからです。プレイリストの1番初めにあったからなのか、何故かテネシーなのです。型式は覚えていませんが左ハンドルでした。たった2ヶ月でも、毎日乗っていましたから記憶にしっかり刻まれるのかもしれません。