スーパーカーちょい悪親父🤪🍾さんが投稿したカスタム事例
2023年02月16日 23時52分
アルファード30系後期 令和元年式、 アルファード10系後期 平成19年式、 ハイゼット S510P所有者です❗️ 自称💕 昭和のスーパーカーちょい悪親父🍾🍾🦋🦋 俺の❗️一度の人生楽しく生きる🤪🍾🍾がモットー🦋 YouTuber🤪 ㊙️ランボルギーニ本当はSV所有者、基本面倒くさがりだから、阿保なフリしてる^_^❗️🤪 https://inuyama.gr.jp/
20年来の付き合いですが、紹介します❗️㊙️
アメリカ人、ユーチューバー、スティーブさん
アメリカに帰られました🇺🇸✈️✈️✈️
日本に来るまで、長い旅12時間かかるそうです❗️
スティーブさんの抜粋❗️
1991年の夏休み、21歳の時に初めて日本に行きました。当時はウィスコンシン州立大学の学生で、経営学を専攻。日本は空前の好景気で、あらゆる人が世界一の経済大国だと認めていた。僕もこれからは日本だと思い、大学では日本経済はもちろん、日本語も一生懸命学びましたね」。 そして、留学生として来ていた日本人と友達になり、「そんなに日本が好きなら、ウチの実家に泊まったら?」という話に。期間は夏休みを利用しての僅か2ヶ月。そこで大きな転機を迎えることになる。
「クラウン、シーマ、ハコスカ、ケンメリ……。一瞬で超カッコイイ!ってなった。小さくてパワーのない日本車しか知らなかったけど、『こんな素晴らしいクルマがあるんだ』ってね。あと、街道レーサーとか、当時の改造も自分好み。あんなに凄いオーバーフェンダーを見たのは初めてで。元々嫌いだっただけに、好きになると反動が凄くて(笑)、一気に日本の改造車に目覚めたんです」。
日本人留学生の友達からの何気ない誘いをキッカケに、クルマの趣味が180度変わってしまった。 友達の実家は埼玉県の養鶏場。ホームステイ中の2ヶ月間、養鶏場でアルバイトをさせてもらうのだが、卒業の年に『日本の養鶏場での経験』をテーマに全米日本語弁論大会に出場すると、なんと最優秀賞を獲得。副賞として日本航空からファーストクラスのチケットが贈られ、あれよあれよという感じで、憧れの日本企業への就職まで決まってしまう。そんな人生のエピソードも語ってくれた。
「卒業後の5年間、日本でお世話になりました。就職先はコンピュータ会社。そして2年で独立し、日本で有限会社を設立。翻訳や通訳の仕事をしつつ、現在の本業である不動産の仕事をするようになったんです。いま思うと、あのホームステイが僕の人生の大きな転換点だった気がします」。
近々のYouTubeに私も出るそうです❗️😊😊㊙️🍾