エッセの滑走・横滑り・ドリフト・大井埠頭・ドリフト天国に関するカスタム事例
2024年06月03日 13時26分
横浜大黒5分在住の滑走中毒/横G依存症のオジヤです。車大好き走り大好き特にドリフト大好きな方よろしくお願いします!FRドリフトは現在は厳しいのでPVCドリフトを始めました★
昔話シリーズⅡ
昔、雑誌ドリフト天国やOption他多数に取り上げられた僕たちのドリフトチーム
書いてある通り初期の奥右L時代はSHOUT ROGUEとROWDYが主的存在でした!
奥右Lは進入2車線から右折し抜けた先は片側4車線の超広い長い直線が続く所でした。
2速で進入全開立ち上がり3速シフトアップ全開直ドリ2速シフトダウン奥Uターン立ち上がり3速シフトアップ全開直ドリ2速シフトダウン左折
この流れがメインでした。
当時SHOUT ROGUEは1軍フロントハチマキチームステッカー、2軍フロント左上斜めSHOUTのみ、3軍リアのみステッカーという40台近くの大所帯で腕によりチーム内で区分けしてました。
だから2軍3軍はデカデカフロントに貼りたいからって頑張ってましたね。
向上心を煽る良いやり方でしたね。
トップの人達は良く考えたもんです。
創設者トップ3は元NIGHT REGENDで後のD1選手でVELTEXエアロで大当たりした上野君所のチーム まだ選手現役で凄いっす。
彼もまた元FC3S乗りで東扇島で仲良く走りました。
もう1人は知る人ぞ知る元フェニックス
そしてもう1人は元NIGHT WALKERS、後のD1選手高橋邦明君やD1選手ヴェロッサ廣田君所にいました。
その1人は残念ながら亡くなってしまいました。
その3人が集結してSHOUT ROGUEが生まれたんです。
そしてこの当時はツアラーVなんかまだデビューしてない頃でPS13/RPS13系、A31/C33のニッサン勢がドリフト車両を占めてましたね。
その中にチョロチョロとAE86がいてその頃自分はFC3Sでした。
その後に右奥Lが潰れてクランクがNEWコースになりまたまた潰れて、S字がNEWコースになって潰れて、最終的に今も語り継がれ大井埠頭といえばコレっていう代表的なコースになりました!
それが左進入、立ち上がり3速シフトアップして直ドリ3発で左に入っていくそこでも直ドリして左折してスタートラインに停まる。
その頃になるとほぼ全員90、100ツアラー/3兄弟トヨタ勢
他の周りも90、100、アリストに乗り換え。
ウチの初代リーダーは32GT-R〜100マークⅡに乗り換えてました。
後の2代目リーダーは2軍FC3S 1軍
昇格C33〜90マークⅡでした。
シャウトカラーもチーム員で統一してシルバー軍団になりその後ブロンズ系になりSHOUT ROGUEの得意とするアピールポイントは団体ドリフト
そりゃボディ色、角度、間隔が揃っててカッコイイなんてもんじゃ〜なかったです。
全盛期はギャラリーの人数も200〜300人はいたと思います。
その前を団体走り魅せるとなるともうテンションぶち上げでアドレナリン全開でしたよ!!
先行 元ガヤファクトリー店長ヒロポン
後追い 自分
大井埠頭 最後のステージ
ヒロポンは20代前半、私は50歳
走り方が年代で違うんです。
いま主流の走り方はナックル変えていかに深い角度で魅せるかそして先行はツインしやすいようにわざとアウトを走る
昔の走り方は浅角でハイスピード進入で突っ込みインクリップをナメる
現代と90年代との走りの融合がこのちょうど良くバランスのとれたツインドリフトになるみたいですね。
先行の内側に頭入れ、振り返っす時にはケツと頭をスレスレに減速してまた頭を入れる
これが凄く難しいんですよ〜
2車線直ドリもたまらんですね~
こいつがFRならなぁ…
でもまだまだSHOUT ROGUEは健在で、3代目は6台程 そして復活組が2台 2代目リーダーはラジドリでチーム員増やして団体 そして私軽のPVCデビュー1台
名前はまだ廃れませんでぇ〜
ラジドリのシャウトメンバーさんのFC3S
クソカッコイイ❤
YOKOHAMA AVS モデ6ホイールが当時感丸出し♬
当時のハブのこの深さがたまらん❤って人多かったよね★
当時2代目リーダーの161アリスト ラジドリ車両
最近WORKS仕様にModifyしたらしい
ん〜カッコよ〜♬