ゆきむらー ☆さんが投稿したメルセデス・ベンツ・9月も終わりますね・w126・w140・ブルーノ・サッコに関するカスタム事例
2024年09月29日 22時29分
東京↔️茨城 メルセデス・ベンツ新旧全般、my carはノーマル派ですが、カスタム、チューニング否定派というわけではありません。 なお、本文中では日本にメルセデス・ベンツを広めた故・梁瀬次郎氏に敬意を払い、敢えて「メルセデス」ではなく「ベンツ」と表記しております。
まいどご覧いただき、誠にありがとうございます🌚
ブルーノ・サッコ氏追悼で過去車560SELと25年以上前の私😦
ブルーノ・サッコ(Bruno Sacco 、1933年11月12日 - 2024年9月19日)は
、イタリア生まれのカーデザイナーである。2009年現在、ドイツに帰化し、ドイツ国籍である。 合理的な直線基調で飽きが来ず、かつ存在感ある1980年代から1990年代のメルセデス・ベンツの形を決めた人物である。
2024年9月19日 - ジンデルフィンゲンで死去。90歳没。
御本人の「会心の作」126クーペに晩年まで乗られていたという。
もののサイトによると、この126クーペはV8エンジンではなく、本来のラインナップには存在しない、3.0Lストレート6、ツゥインカム24ヴァルヴ搭載の「300SEC-24」だったという。
W100「600」シリーズのチーフエンジニアを務めた、フリッツ・ナリンガー氏の引退土産は📸の600クーペだったことから、サッコ氏の300SEC-24も恐らくメーカーからの退職金の現物給与としても支給されたものでは???
トップ画は↑の📸の続き
私と比べるとまったく絵心という物が無い撮り方である😦💦
126その①を筆頭に、サッコ氏のデザインした角目世代のベンツは他に‥
124 500E
後期型に巻き換えられていますが、前期92モデル。
中古並行車、メーターは55千㎞でしたが、実際は200千㎞は超えてると思われました。
アウトバーンを吹っ飛ばしてたクルマらしく、フロントには無数の飛び石キズが。
これは勲章のようなもの。
●●●㎞/hで走るのが一番調子良かったのは流石。
129 SL500
かなりレアな95モデル。
前期エクステリアでターンシグナルランプがUS仕様風。
KEジェトロからLHになり、型式も129066から129067に変わっております。
真夏はヅラ(ハードトップ)着用👴✨
ヅラっぽいの129オーナーが居たら、HT被った状態の時に「今日はヅラ被ってますね〜」と言いたいと思ってたものである。
オープンにするとヅラが遥か彼方へ飛んでしまうので、やはり‥というかオープンになるクルマ自体買わないか
‥またヅラの話になってしまいました😑
そして126その②
長期在庫車だったため、買ったばかりの頃は調子があまりよろしくなかった🔧
ブルーノ・サッコの最高傑作と言ったら、私の場合言わずもがな
140 S320
140はサッコ氏にとって「痛恨の作」だったという。
自身の理想より全高が4インチ(約100㎜)高かったとか。
ベンツが好きで140が好き、というより、140が好きでベンツが好きになったという方も多かったが、後者は長く続かなく、無理して乗ってた方が多かったようです😦
本当に好きな方はV12に魅せられて、140ばかり3台も乗り継いでる(た)猛者も私の周囲に多数おりました。
そしてもう一つ悲しいお知らせ😭
売れ筋のSUVモデルでも、クーペタイプのGLEクーペとGLCクーペも現行で終了とのこと。
GLCクーペなんて出たばかりなのに、もうそんな話をするか😦💦
トップ画の📸はニューオータニの🅿️ですが、停めた場所がよく見ると「256」
少し前に投稿した物で、型式と同じ番号を狙って撮ったのが「257」
まさに人に歴史あり、クルマに歴史ありです。
‥と、ムリヤリまとめ😑
それでは皆さんごきげんよう🌚
おまけ
貴方は「ブルーノ」のファーストネームで思い浮かべるのは誰?
ブルーノ・マーズ 🇺🇸ハワイ出身
ミュージシャン
ブルーノ・ヴァルター🇩🇪
20世紀初頭の指揮者
ブルーノ・サンマルチノ🇮🇹出身
人間発電所‥プロレスラー