MR2のAW開発話・毎月11日はAWの日・AW・AW11に関するカスタム事例
2022年06月23日 20時44分
全国11億人のMR2ファンの皆様、こんばんは😃
11番だよ全員集合❗️😁
暫く休みましたが、MR2開発話再開です😁
MR2は、ミッドシップというスポーツカーの理想とされるレイアウトを採用したクルマであった。だが、絶対的な速さや走行性能を、ひたすら追求したスポーツカーでなかったのも事実。「MR2」とはあくまでシティ・ランナバウト、即ち「軽快にキビキビ走る楽しいクルマ」と言うコンセプトが込められた名前であり、実際にトヨタがMR2のことを「スポーツカー」と公に呼ぶことは決してなかった。かつてのトヨタ2000GT以降、トヨタが堂々と公式に「スポーツカー」を名乗ることを許すマシンは1993年のA80型スープラ、その次には2012年のZN6型86を待つことになる……
……MR2が発売された数年後、吉田は再びアメリカに渡る。かつて自身が居を構え、MR2の構想を練った西海岸のロサンゼルス。そこで吉田は、ある光景を目にすることとなる。
吉田の前にシルバーのMR2がやって来た。運転席から降りてきたのは、現地の若い青年。青年はMR2を路肩に停めると、そのまま目の前の店へと入っていった。
それを見た吉田は、手にしたカメラで思わずシャッターを切った。
*故吉田氏講演会写真より
独特の若者文化の花開いた南カリフォルニア、「ここの若者たちにクルマを買ってもらうとしたら、どんなクルマが良いのだろうか」。それが、MR2の原点であり、全ての始まりであった。それから10年以上が経った今、かつて自身が思い描いた通りの光景が、まさに目の前に繰り広げられている――
「感慨深かった」。吉田はそう述懐する。
AW型MR2は、日本国内だけで4万826台、海外を含めると10万台を超える売り上げを達成する。もちろん量産車としては決して「大成功」とは呼べない数字ではあるかもしれないが、かつてこれほどまでの人気を博したミッドシップは世界中どこを探しても存在しなかった。
そしてMR2の売り上げ特徴として、女性ユーザーの比率の高さが際立った。メインマーケットとなる北米ではオーナーの50%が、英国ではなんと60%ものオーナーが女性となったのである。これぞ、MR2の開発陣営が徹底的に研究を行った、静粛性や居住性、快適性などが評価され、操縦性についてもマイルドなものではあるが「誰が初めて乗っても違和感なく運転できる」というトヨタが最も大切にしてきた哲学が「新時代のパーソナルクーペの、あるべき姿」として支持されたことに他ならなかった。
*モデルはMR2CMソングを歌うSapho(サッフォー)
日本初となるミッドシップ・MR2。そのあり方には賛否両論があったが、誰もがMR2に深く注目し、そして大きな話題となったことは疑いようがなかった。
そしてMR2が発売された年の1984年の第5回カー・オブ・ザ・イヤー。当然のことながらMR2もノミネートの対象となる。評点においては、辛口で知られる自動車評論家・徳大寺有恒が、自身の評点において最高となる8点を入れたという。徳大寺はMR2について別の場所で、後に主査となった有馬和俊に対して「刺激的な部分が欠落している、ちょっと魅力が足りない」ともコメントしている一方での、この評点。「これからのトヨタ」に対して、いかに期待を寄せていたかが見て取れる。
また、選考員の中には「重量が重い。重くなるほど補強しているにも関わらず、ボディ剛性が不足している。そしてそれがハンドリングに影響している。だからMR2に3点以上は、どうしても与えられない」と述べて、DOHC16バルブのシビックに9点を投じた者もいた。
だが、「あの」トヨタが。「石橋を叩いた上に渡らない」「冒険しない」「面白みがない」「家電製品ばかり作る」等々、実態は別として「極めて保守的」というイメージばかりが先行してしまっていたトヨタが、このようなクルマを国産メーカーの中で先駆けたことが、最もMR2が評価された理由であることに間違いはなかった。
かくして、MR2は見事にカーオブザイヤーを受賞することとなる。
MR2は翌1985年、北米において「'85 MOTOR TREND IMPORT CAR OF THE YEAR」を受賞。日米において二つのカーオブザイヤーを受賞することとなる。
*2022年現在、メーカー自らAWのレストア絶賛進行中
1985年1月には、特別仕様車である「ホワイトランナー」を発売、同1985年6月3日、発売から一年を経たMR2は小マイナーチェンジを敢行する。マイナーチェンジとは言えど、バンパーやリアスポイラー、サイドマッドガードなど、それまで未塗装のブラックのままであったパーツを、ボディと同色化。さらに、「スパークルウェーブトーニング」や「ニューシャーウッドトーニング」などの新規カラーが与えられる。
さらに1985年8月23日「Gスポーツパッケージ」と呼ばれるモデルが追加。これはGグレードをベースに、標準では設定されていなかったリアスタビライザーを追加。サスペンションを強化し、タイヤはポテンザRE71に設定。サイドマッドガードや7wayシートを採用するなど、よりスポーツ性を高めたモデルであった。
1986年1月には、Gスポーツパッケージをベースとして特別仕様車「ブラックリミテッド」が限定販売される。
MR2のデビューを見届けた吉田はやがて定年を迎え、トヨタ自動車を退職する。
だが、MR2の歴史は終わらない。この先もMR2は、幾度も幾度もマイナーチェンジとモデルチェンジを重ね、その身を変えてゆくことになる。
さらなるパワーを与えられたスーパーチャージドAW11。グループBの悲劇。「危険なクルマ」として世界中を震撼させることになるSW20、1型、GT選手権の栄光。アンチパワー・ライトウェイトへの原点回帰・ZZW30、そしてハイブリッド又はEVへ…
販売期間23年に渡るトヨタ・ミッドシップヒストリーは、今まさに始まったばかりだった……
さらにさらに続く〜👍😁