CYBERさんが投稿したたとえばこんなカーライフ・ブルーバード・ブルーバード510・510ブル・美少女イラストに関するカスタム事例
2022年02月16日 01時03分
CYBERです。よろしくおねがいします。多摩川周辺でまったりとスローライフ。 無言でオッケー!フォローバック100%ですよ〜
たとえばこんなカーライフ
日本の名車と、あるかもしれない物語
今回は日産ブルーバードです、ブルーバードは初代が1959年に登場し、1996年から2001年まで作られた10代目までモデルチェンジを重ねました。2代目よりSSS(スーパースポーツセダン)のグレードを設定する、文字通り走りのセダンのイメージですね。
特に大ヒットしたのは1967〜1973年まで販売した3代目の510系で155万2263台も作ったそうです!
510ブルの愛称で親しまれた3代目は1969年の石原裕次郎主演「栄光への5000キロ」、1970年の「第18回東アフリカサファリラリー」総合・チーム優勝の二冠達成で日本人にとっては特別なモデルとなったのです
その後もブルーバードは、ターボ、4輪駆動、ハードトップなどその時代を反映したモデルチェンジを繰り返す長い歴史の車となったのです。
そんな長い歴史の中で数々のモデルチェンジが繰り返されてきたブルーバードにぴったりの女子は!
ズバリ!
世代交代系京菓子女子です!
彼女の家は、京都の街で長い歴史を持つ京菓子の店。
代表であり京菓子職人でもある父を中心に、複数の職人が腕を振るい、長い伝統の技術を受け継いでいます。彼女も幼い頃から京菓子と共にある生活が当たり前の人生でしたが、そこは閉鎖的な職人の世界、女人禁制の厨房には一度も入れてもらえませんでした。
ある日健康そのものの父が健康診断の結果、癌が見つかり緊急入院となり、大学に通う彼女は急遽呼び戻されます。余命宣告を受けた父は彼女に店の看板を引き継いで欲しいと告げました。
父を安心させる為にもと彼女は承諾します。
しかし、若輩者の彼女を受け入れられない職人達は反発します。経営を学んだ彼女の改善案はことごとく一蹴され、それどころかしきたりも何も教えてもらえず。挨拶もことごとく無視され、彼女は孤立化していきます。
主人(あるじ)不在の父の愛車の中で一人涙する日が続きました。
そんな日々の中、彼女はふとグローブボックスの中に一つの折り紙を見つけます。それは子供の頃に父をなぐさめる為に彼女が折って父にプレゼントした青い折り鶴です。
思い出しました、彼女の父も若い頃技術の未熟な自分を呪い涙していた時期があったのです。
彼女は奮い立ちます。父にも辛い時期があった、わかってもらえないと嘆くより、認めてもらう努力をしよう。私も芯の強さでは誰にも負けない京女!くよくよしてはいけないのです!
実際、近年の不況から店の経営はかなり傾いています。それならばと現代ならではの手法で頑張ります。イベントの出店やSNSでのPR、タイアップ菓子の発案やライブ発信まで始めました。
特に着物姿で京都の街を走る旧車のブルーバードの姿は動画配信でも話題となって拡散し、その走る姿をみると幸せになれると瞬く間に話題の若社長となってしまいました。まさに幸せの青い鳥に自分がなったのです。
恥ずかしいですが宣伝の為と地域のフリーペーパーなどの取材を受けたりするうちに、店は京都でも話題となり、彼女の始めたネット通販も好調です。
活動を批判的だった職人達も売り上げを上げた彼女を次第に認めてくれたようで、最近は相談を受ける事も増えてきました。
奇跡的に癌を克服した父も彼女の功績を認め、退院後に後継を広く告知しました。
彼女は見事に世代交代を成功させたのです。
ブルーバードの長い歴史のなかで、もっとも印象に残るコピーは、1979年の「910型」で沢田研二が口にする「ブルーバード、お前の時代だ」ですね。
1983年の「U11型」では「ブルーバード、お前はスーパージェネレーション」です。
芯の強さを見せつけて見事な世代交代を果たした京女の彼女にピッタリの幸せの青い鳥(ブルーバード)だと思いませんか? 古都の古い街並みに旧車のブルーバードはとても似合っていますね。