フェアレディZのdatsun280zさんが投稿したカスタム事例
2025年02月08日 14時39分
北米仕様の5マイルバンパー装着してます。このクルマを所有 してから17年ほど経ちました。その他38年ほど所有している240ZGも有ります。宜しくお願いします。
貴方は、職業ドライバーとして
日本で初めてF1マシンに乗った
ドライバーをご存知だろうか?
1976年のF1インジャパンの
富士スピードウェイに出場した
日本一速い男の称号を持つ
星野一義選手か?それとも
長谷見昌弘選手か?
いや、まったく違う。
もしかして、高原敬武選手か?
高原敬武選手は確かに1974年に
非公式ながらはF1に出場した
日本人で初めての選手だった。
高原敬武選手は、日本一強い男と
言われた。また、日本一速い男と
呼ばれた星野一義選手は予選では
ポールポジションは取れたが
本番では、中々勝利の女神には
恵まれなかった。
遡る事1960年に北野元選手が
ホンダの委託を受けてホンダの
荒川河川敷のコースを走っている。
その後1964年にホンダRA271を
テストドライブしている。
1965年にホンダ2輪チームの
先輩であった田中健二郎選手に
誘われて高橋国光選手と共に
日産ワークスの追浜に移籍した。
ホンダから日産自動車への移籍は
ホンダの河島喜好さんと
日産自動車の難波靖治さんとの
話し合いによって纏まった。
その後は、黒澤元治選手と共に
日産三羽ガラスと呼ばれた。
黒澤選手との関係は、その後
1974年6月2日に開催された
富士グランチャンピオンレース
あの鈴木誠一選手と風戸裕選手の
多重事故で両選手の死亡事故
に結びついた。
これは、タイヤ戦争と呼ばれ
BSとDLの争いだった。
ホンダR271でF1参戦を始めた。
翌年1965年メキシコグランプリ
ではR272で初優勝を飾った。
答えは、北野元選手だった。
北野元選手は、F1グランプリには
出場しては居ないが
陰ながらホンダのF1マシンの
車両開発に貢献している。
今でもお元気な
北野元さんでした。
84歳になられる北野さんですが
いつまでも、お元気でいて
欲しいものです。