インプレッサ スポーツワゴンのざっくり北海道小話に関するカスタム事例
2019年10月02日 23時20分
●ざっくり北海道小話~三井美唄互楽館
昭和30(1955)年に建設された、道内最大級の映画館兼集会場。
当時 最新の設備を誇り、新作映画の封切り日には、いつも行列ができた。
また、地元の小学校の学芸会にも使われた。
コンクリート3階建て、1と2階は客席、3階は映写室、収容人員:約2000人。
現在は、民間会社の倉庫として使用、内部はほとんど改装されている。
ちなみに…地元の小学校、三井美唄小学校とは…長いけどちょっと読んでみて( ^ω^)✨
児童数3300名 三井美唄小学校
巨大炭鉱住宅の中に生まれた史上まれに見る超マンモス小学校。当時北海道一。
もしかすると日本一だったのかもしれない。
現在はこんな巨大な小学校は日本全国どこにもない。
木造2階建ての校舎が3棟に体育館が2つ。先生の数は70名。筆者は昭和32年
の入学であるが、その時の学年は、1クラス55人でそれが何と12クラス。
運動会や学芸会など、何をやるにも大人数。よくぞこの大人数をまとめていたものである。
しかし、ごく一部を除いて親の勤務先は全部三井鉱山。
だから人数が多い割には何となくまとまりがあって、あまり大した事件もなく平和な校風であった。
校舎の建設も設備もほとんど三井鉱山の寄付。だから学校は一応美唄市立であったが、
実態は三井鉱山が経営しているようなものであった。PTAも学校のことについての問題は
美唄市ではなく、ほとんど三井鉱山と労組に直談判。
北海道内でも有数の給食早期実施校になったのも三井鉱山の力によるものだ。
ところで給食であるが、現在と違って全部校舎の中央に設置された、巨大調理室でつくっていた。
製パン工場まであった。パンを学校の中で作っていたのだ。給食のおばさんは毎日10人以上フル稼働。
ろくに国の援助のなかった時代にこれだけのことが出来たのも炭鉱地ならではのことであった。
いやぁ~…凄い‼️
美唄ナメてたw
そしてお見逸れしてました( ^ω^)‼️
やっぱり歴史って面白い( ^ω^)✨